7/14(金) FIATちゃん逝く
夕方、出かけようと車に乗り込んだら、エンジンがかからない。何度がキーを回すと、時々エアコンだけが動いたりする。そのエアコンも次第に動かなくなって、遂に微動だにしなくなった。
加入している保険屋さんに電話して、レッカー移動することになった。ただ、FIATのバッテリー交換をしてくれる提携工場は鹿嶋周辺にはないという。レッカーで車をどこに運ぶかは、自力で調べて保険屋さんに指示することになった。自宅から車で5分ほどのところに、欧州車も取り扱っている整備工場がある。電話で相談すると、バッテリーの在庫もないし、ディーラーに聞いた方が早いんじゃない?という話だった。
鹿嶋から一番近いFIATディーラーは成田にある。ここなら無料でレッカー移動可能な50km圏内だけど、先日別件で問い合わせたときの対応が納得いくものではなかったので、期待はできない。バッテリーの在庫はあっても、交換するのに車を何日預けたらいいのか、明確な答えが出るのにも時間がかかりそうだった。それなら、いつもお世話になっているFIAT池袋か。いつも面倒を見てくれているメカニックの担当さんに事情を話すと、バッテリーの在庫はあるという。明日レッカーで車を運んできてくれたら、1時間以内に交換して乗って帰れるように進めてくれるという。ただし、レッカーの移動距離が50km以上なので、自腹だ。方法を探っているうちに19時を過ぎ、ディーラーの営業時間を過ぎてしまった。
そういえば、ご近所さんが車のことで何かあったらいつでも相談してと言ってくれていたことを思い出す。すぐにあちこちに電話をかけてくれて、地元鹿嶋の整備士さんが駆けつけてくれた。そしてキーを回して「あ、バッテリーだ」と即答。バッテリーさえ入手できれば、レッカーせずにわが家の駐車場で交換作業をしてくれるという。よし、ディーラーで純正バッテリーを交換するのはやめよう。欧州車用バッテリーを自力で入手して、自宅でバッテリー交換してもらおう。
7/15(土) 国産バッテリーを買う
欧州車用バッテリーを調べると、いくつかのメーカーでFIAT500に合うものを見つけた。
(1)ブライトスター FIAT 500 適合 バッテリー SMF 550-66 12V 50Ah 13,500円(税込)
(2)ACDelco [ エーシーデルコ ] 輸入車バッテリー [ Premium EN ] LBN1 8500円(税込)
(3)Panasonic caos 66-25H(または)52-21H 16,500円(税込)
(4)BOSCH FIAT正規品 FIST 500 [312] Silver X (SLX-5K) 16,264円(税込)
その中で日本製のバッテリーがとても評価が高かったので、(3)のPanasonic製を購入することにした。ちなみにFIAT純正バッテリーは33,000円なので、約半額だ。楽天の「あす楽」対象商品を注文すれば、明日には届くはずだ。
7/16(日) 夜、配送業者さんがゲッソリして現れる
今日届くはずのバッテリー、お問い合わせ番号で追跡すると、朝9時には近くの営業所に届いている。なのに、夕方まで待っても届かない。営業所に連絡するとバッテリーを持ち出しているドライバーにすぐ連絡を取ってくれた。お届けは20時〜21時になるという。もう日曜日が終わってしまうじゃないか!整備士さんがお休み返上で駆けつけてくれることになっていたけど、この時間だともうお願いするわけにはいかない。結局、待ちに待ったバッテリーが届いたのは21:15頃だった。
7/17(月) バッテリーのサイズ合わず
整備士さんが「届いたバッテリーを運転席に置いておいてくれれば、朝のうちに交換しておきます」とのこと。それで、16kgのバッテリーを夜中に運び出して、運転席に置いておいた。私が起床した時には、復活しているはず!ところが、まさかの連絡が入っていた。バッテリーのサイズが大きすぎて、FIAT500に合わないというのだ!5cmくらい大きくて、どうしても入らないという。脱力。
バッテリーを注文するとき「FIAT500で使っています」というレビューをいくつも確認したはずだった。なのになぜ!さらに調べて行くと、どうやらPanasonic caosの66-25Hがぴったり合うのは、最近のFIAT500(恐らくTwinAir)のものらしい。私の車は、日本に新型FIAT500が初上陸してすぐに買ったものなので、66-25Hではなく、一番小さい52-21Hしか入らないようだった。つまり、新型FIAT500は日本で発売された当時から、バッテリーのサイズも大きくなっているのだった!知らんがな!
改めて、52-21Hを「あす楽」で購入。明日届くはずだ。前回のようなことがないように、できれば午前中指定でお送りくださいと事情を説明して書き添えた。返品不可と明記されてはいたけれど、丁寧にメールで返品に対応してもらえるようにお願いしてみた。
Panasonic Blue battery caos WD(欧州車用カーバッテリー)
FIAT500 1.2 Loungeに合うのは、一番小さい「52-21H」だった。
最近のFIAT500は、66-25Hも入るようだ。
7/18(火) 代替品、今日も届かず
バッテリーが届かない。楽天のサイトを確認すると、小さく小さく「日・祝日の発送は除く」と書かれているのを見つけた。昨日は祝日なので、まだ発送されていない!今日もバッテリーが届かない!撃沈。でも、明日になればきっと届くはずだ。待つしかない。
7/19(水) ゆうパックが二度くる
今日こそはバッテリーが届くぞ!と思ったら、「繁忙日だったため、発送が遅れている。本日発送します」とのメールが届いた。そんなバカな!あす楽って明日届くんじゃないの!?連休明けで繁忙日とはいえ、まさか今日も届かないとは。
返品不可のバッテリーは、今回限り手数料を引いた上で応じてくれることになった。丁寧に梱包して、ゆうパックの集荷を依頼した。その夜、郵便局がバッテリーらしきものを抱えてやってきた。届かないはずの新しいバッテリーが早くも届いた!と喜んだのも束の間、郵便屋さんが持ってきたのは私が朝出したサイズの合わないバッテリーだった。つまり、戻ってきたのだ。
教訓、ゆうパックで鳩は送れても、車のバッテリーは送れない。佐川急便に明日の集荷依頼をした。
7/20(木) FIATちゃん息を吹き返す
朝、佐川急便がやってきた。待ちに待ったお届けかと思ったら、集荷だった。サイズの合わないバッテリー、再度出荷。
お昼頃、待ちに待ったバッテリーが届いた。すぐに整備士さんに連絡をすると、了解しましたとの返答。何時に来るのだろう。待つ。ただひたすら待つ。14時過ぎ、駆けつけてくれた整備士さんが新しいバッテリーを交換してくれて、呆気なくエンジンがかかってFIATちゃん復活!古いバッテリーの処分も引き受けてくれた。
そんなわけで、車をレッカーすることなくバッテリー交換完了。ここまで1週間かかった。田舎で車のない生活は想像以上に不便だった。不便というより、何もかもどうすることもできない。囚われの身のようだった。鹿嶋は陸の孤島とかいうけど、車がないと本当にその通りだなと思った。まあ仕方がない。そういう場所を自分で選んだのだから。
ちなみに、家の道路向かいには日本車の某ディーラーがあって、ここの車に乗れば困ったときもすぐ対応してもらえるはず。車がない間、そんなことも考えたけど、それでもやっぱりFIAT500に乗りたいし、今のところFIAT500以外に考えられない。車を買い換えるとしたら、多分また色違いのFIAT500を買うのだろう。
田舎でFIATに乗るのは難易度が高いということを思い知った。先日もパワーウィンドウが開かなくなって、FIAT池袋で修理してもらった。ああ、次は車検だ。
純正バッテリーより調子がいい!
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4年に一度のEUROは、ヨーロッパ最強国を決める大会で、今年はフランス国内10都市が会場になっている。だから大会期間中、サポーターはフランス国中を飛行機や電車を駆使して移動する。ブラジルワールドカップのときも、そんなふうにして出発から帰国まで17フライトを乗り継いだ。ブラジルに比べたら、フランスはだいぶ難易度が低い。ただ、テロに対する厳戒態勢の様子はニュースでも知っていたから、今回の旅はいつも以上に気を引き締めて出かけることになった。
私が取っていた試合のチケットは、パリ、マルセイユ、ボルドーの3都市、Round 16とQuater Finalということで、どの試合もチケットを買う時は対戦国が決まっていなかった。パリ・サンドニの試合は、グループリーグを勝ち上がってきたイタリアvsスペインに決まった。どちらも優勝候補で、これはもう決勝戦みたいなカードだ。偶然、取っていたチケットとはいえ、このカードが決まった時は思わず声が出てしまった。サンドニというパリ郊外の町で、8万人の歓声に包まれるスタジアムを想像した。
マルセイユは2013年の冬に一度訪れた。その時に見学したかったスタッド・ヴェロドロームは、このEURO開催に向けて工事中だった。3年後、EUROで必ずこの町にまた来よう、完成したスタジアムで観戦しようと決めていた。ここでのカードは、ポルトガルvsポーランド。人並みだけれど、Cロナウド、レヴァンドフスキの活躍を期待した。
ヌヴォー・スタッド・ドゥ・ボルドーは、このEUROのために新しく作られたとても美しいスタジアムだ。森をイメージしたという無数の柱と、フラットな屋根の直線が印象的だ。パリとマルセイユは行ったことがあるけれど、ボルドーは名前しか知らない。世界遺産のその町を、一度見てみたかった。そして、ボルドーでぜひボルドーワインを飲みたいと企んでいた。
このボルドーで試合を見た翌日に帰国する。最後のカードは、サンドニでの試合を勝ち上がったイタリアとドイツに決まった。私が見たかったドイツ代表!
パリに着いてすぐ、メトロでエッフェル塔へ向かった。FAN ZONEの会場が近くなるにつれて、サッカーファンが増えていく。だけど、私の赤いユニフォームには誰も目もくれない。23番植田選手のユニフォームを着ていたので、時々背後から「ウエダ!」と声がする度に、笑顔で振り返った。大スクリーンでウェールズvs北アイルランドを見ながら、シャンパンを飲んだ。鹿島アントラーズ、1stステージ優勝おめでとう。
夜、ホテルに戻ってから初めてパリを訪れた日のことを思い出していた。あれは2002年、14年前のことだ。休みもなく働いて働いて、仕事する手を止めたら死ぬんじゃないかという強迫観念さえ感じていた頃だ。体もボロボロだったし、心が病んでいた。早朝、シャルル・ド・ゴール空港に到着して、朝靄の中をロワシーバスでオペラ座まで。初めてのヨーロッパ、バスの中で震えていた。
この日、あのときと同じロワシーバスに乗った。14年が経って、私はもう震えたりしない。年を取ってサッカーが好きになって、サッカーの町で暮らしているとか、そんな未来が待っているなんて想像もしなかった。
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1/27、引っ越しをしたら家が未完成だった。壁紙も貼っていなければ、コンセントもない。つまり真冬にエアコンが使えないどころか、仕事も生活も完全NGという有り様だった。トイレが部屋の真ん中にドーンと置いてある。水も出ない。キッチンなどの住設機器も設置どころか発注すらしていない状況だった。とにかく、工務店と建築家に対して言いたいことは山ほどあったけど、この日から私はホテル暮らしを強いられた。
この辺は、鹿島臨海工業地帯といって、約160の企業が集中している。そのこともあって、ホテルというホテルは軒並み満室に近い。工事がまだまだ続くと聞いて、2ヶ月ほどマンスリーマンションにでも住まなきゃいけないのかと覚悟を決めて電話をすると、入居率100%という驚異的人気エリアだと知って撃沈した。
日々、空室のあるホテルを探し回っては転々として、精神的にも肉体的にも消耗していった。2月上旬には、遂に体を壊して救急車の世話になった。工事中、覚悟を決めて家に住むようになってからも、毎日家の周囲には職人さんたちの車が10台近く集まっていて、仕事どころか生活すらままならなかった。仕事机の横では、けたたましい音を立てて溶接をしている。養生したビニールの中で、らせん階段を削ったりペンキを塗ったりしているのだ。
そんなふうにして完成した鹿嶋の家は、3/30にひとまず完成となった。6/24現在、まだ室内ドアの鍵が設置されていない箇所があって、ドアに穴が空いている。私はもう怒る気力もなくなく、工務店からの連絡をずっと待っている。
今日はそんなことを書こうと思ってこのページを開いたわけではない。明日から久しぶりに旅に出るので、なんとなくまた書き綴りたいなと思ったのだった。私の体は積もり積もったあれこれによってだいぶ悲鳴をあげている。30分ほど歩いただけで腰に激痛が走るという状況で、果たして飛行機に乗れるのか?自分の荷物を持って歩けるのか?あらゆる不安があったものの、この町には「ゴッドハンド」の先生がいるからと安心していた。この先生の手にかかれば、どんな人でもあっという間に痛みは去り、長年の苦痛から解放されるのであった。「鈴木さんも一回行ってみて」と紹介してくれたのは、鹿島アントラーズの選手だった。彼だけでなく、アントラーズの選手たちはみんなこの先生にお世話になっているというし、ジーコもキングカズこと三浦知良選手もここに通っていたという。待合室の座敷には、一際目立つサインがあった。元巨人の清原のサインだった。「残念なことになっちまってなあ」と先生は言った。
旅に出る前に、ゴッドハンドの先生のところで体をメンテしてもらおうと思っていたところ、先生が階段から落ちて骨折してしまったと聞いた。今月は治療は無理だという。大ピンチだった。目が覚めると痛みに気づく。立っていても痛いし、座るともっと痛い。とにかく、居ても立っても居られない痛みは、ストレッチすらできないほどで、もう自分の手には負えなかった。
鹿嶋から東京へはバスで90分〜120分ほどだ。今でも時々東京を訪れる。杉並区に長く住んでいたので、買い物といえば新宿だった。だから自然と今でも新宿へと足を運んでしまう。そこで、カイロプラクティックの先生にすべてを託すことにした。先生にはとにかく「歩けるようにしてください」とお願いした。整体、マッサージ、鍼、クラニオセイクラル、アーユルヴェーダ、あらゆる治療がある中で、様々な方法を試してきたけれど、今回カイロプラクティックを選択したのは、骨格のバランスが滅茶苦茶になっていることを自分で把握していたからだ。筋肉のバランスも悪い。それは、日々の仕事の姿勢も原因していると思う。腰への負担を軽減させるために、体全体のバランスが崩れ、普段から首が傾いていた。今まで通っていた杉並区内のカイロは、施術に物足りなさを感じていた。それで、今回新しい先生を頼ることにした。旅の出発まで時間がなかったから、一種の賭のようなものだった。
先生は私の話を一度も否定することなく、すべて聞いた上でつま先から頭まで時間をかけて調整してくれた。すべてが終わったあとで、骨格模型を使って私の体が今どんな状態になっているのかを、わかりやすく説明してくれた。骨盤が寝ている状況で、左側が上がっている。さらに、マウスを持つ右側の骨盤が前に出ている。体全体でバランスを取ろうとして、首が右に傾いている上に、頭全体がねじれていた。それでようやく痛みの原因を知った。
「今まで固まっていた筋肉を緩めたので、2〜3日はちょっと注意してくれださい」と言われた通り、それから2〜3日は腰の激痛に耐えていた。失礼ながら先生を疑ったりもした。ところが、しばらく経って痛みはほとんど消えた。2回目の施術では「腰の方はだいぶ良くなっていて、問題は首の方。今回は首に痛みが出るかもしれない」と言って、念入りに首のメンテナンスをしてもらった。メキメキと妙な音が脳みそに響く。
今、随分と長い間、左腰の奥の方にあった「何か」をほとんど感じなくなっている。体をひねると激痛が走ることももうない。こういう体のことは、施術方法や先生との相性も大事だ。私は、ギリギリのところで西新宿整体院の三上先生と出会えて、幸運だった。顎関節症の治療もあれこれ試してみたけど、結局この整体院で全身の施術をしてもらった後、気づいたら口がきちんと開くようになった。耳の前に手を当てて、顎が左右同時に開くように意識して口を開けたり閉じたりしてみる。どんなにやっても、顎が片方ずつ開いていたのが、今は同時に開いている。これはちょっと感動するほどだった。右の顎に至っては、開く度にバキッ!という音が鳴って煩わしかったが、長年のその「音」が今のところなくなっている。
若いときは、1日10時間歩いても全然平気だった。年齢を重ねて、今までのような旅ができなくなるのが恐いと思うようになってきた。今回で最後かもしれないなと思いながら、EURO2016フランス大会を見に行く。
]]>富岡の減容化施設稼働 除染廃棄物などを焼却
東京電力福島第1原発事故に伴う除染廃棄物や片付けごみを減容化する環境省の仮設焼却施設が福島県富岡町内に完成し19日、稼働を始めた。国の責任で処理する汚染廃棄物対策地域内では最大規模の施設で、1日最大500トンを処理できる。
敷地は沿岸部の同町毛萱、仏浜地区の民有地計12ヘクタール。破砕選別施設や灰保管施設も併設した。
焼却対象は富岡町内で出た廃棄物22万5000トンで、うち除染廃棄物が15万トンを占める。2017年3月末までの2年間で焼却処理した後、施設は解体撤去する。1キログラム当たり10万ベクレル超の焼却灰は中間貯蔵施設に保管し、それ以下の灰は同町が候補地の民間管理型最終処分場に搬入する予定。
焼却炉は2基。集じん機能を持つバグフィルターを各炉に2重に設置して、排ガス中の放射性セシウムなどを除去するほか、粉じんの外部飛散を防ぐため、施設全体を密閉性の高い大型テントで覆った。
同省によると、対策地域内で稼働している焼却施設は富岡町のほかに川内村と飯舘村(小宮地区)の3町村。同省は現在、南相馬市や浪江町など4市町村で建設工事に入っている。
2015年03月20日金曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201503/20150320_62040.html
福島県楢葉町の避難指示、4年ぶり解除
(CNN) 政府は5日、2011年に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故で避難指示を出していた地域のうち、福島県楢葉町の避難指示を解除した。共同通信が報じた。
楢葉町は福島第一原発から約16キロの距離にある。同町の避難指示が全自治体規模で解除されるのは事故後初めて。同原発は東日本大震災の津波で炉心溶融事故を起こし、政府が半径20キロ圏内の地域に避難指示を出していた。
共同通信によると、楢葉町では除染作業が進んだことにより、放射性物質の濃度が許容できる範囲まで低下したと政府は説明している。
これまでにも一部地域で避難指示が解除されたことはあったが、町の住民全員に対する避難指示が解除されるのは今回が初めてだという。
楢葉町では4月以降、日中の帰宅は認められていた。5日からはこの制限も解除される。
ただ、約7400人の住民のうち、どの程度が帰宅するかは不明だと共同通信は伝えている。
http://www.cnn.co.jp/world/35070039.html