a small,good thing
Tokyo
2010.09.06 Monday - comments(2)
9/4(土) すべてが元通り

●10時間半爆睡。ロシアでもイタリアでも、こんなにゆっくりたっぷり眠ったことはなかった。疲れがたまっているのか、体が重い。●昨日、帰宅したときは既に夜だったので、お掃除の続きをする。トイレも鏡も冷蔵庫も目に着いたところは片っ端からピカピカにする。●旅の間、着れなかった服を選んで着れるしあわせ。●家にいても汗をかく。じめじめした日本の夏。ツクツクボウシ。●今日からもう洗濯物を手洗いをすることはない。洗濯機さまさまだ。洗濯をしすぎてベランダにもう干すところがない。●自然食品のお店でバターとチョコスプレッドを買う。「保冷剤はお付けしますか?」 そこまでご丁寧な対応は結構!ビニール袋も2枚重ねにしなくて結構!容器に入って、箱にも入ってるんだから。●空っぽの冷蔵庫を見て、買い出しに行く。丁寧で清潔で涼しいスーパー。エアコンから水が漏れている箇所にはバケツが置いてあり、「床がすべりますのでお気を付け下さい。」の看板が立っている。レジでは入力ミスを指摘された店員が「申し訳ございません」を繰り返している。列に並んだ人々の「この列に並ばなければよかった」といったため息が聞こえる。焦る店員。「お待たせして、大変申し訳ごございませんでした」と深々と頭を下げる。落ち込みながらも素晴らしく手際のいい仕事ぶりに見入ってしまう。●ローマのスーパーは、当然座ったままだし、おしゃべりしながらだし、まるでやる気のない態度だし、おつりは頻繁に間違える。天井から水が滴るウラジオストク航空の機内では、CAさんが謝ることなど一度もなかった。日本人乗客の男の子は、「ロシアだから仕方がない」とばかりに、とうとう頭の上にタオルを載せた。日本はいろんな意味で究極だ。●ロシアを出国するときに、空港内の郵便局で出したハガキが届いた。8/24投函、9/4着。届かないかもしれないと思っていたのでうれしい。優秀!●昨日はバチカン市国からのハガキが届いていた。8/27投函、9/3(もしくはもっと早い日)着。最も優秀!●本当はこういうハガキは自分ではない誰かに出したいものです。●帰国してあらゆる情報を整理する。郵便物の必要なものと不要なものを仕分けただけでごみ箱がいっぱいになった。メールをひととおり読んで優先順位を付ける。録画された番組リストの中から一つだけ選んで食事をしながら再生する。氾濫する情報の中から、自分にとって必要なものだけを残し、不要なものは即排除しないと、たちまち情報に飲まれてしまう。TSUTAYAでCD10枚、DVD3枚レンタル。これは私にとって必要な情報だ。●うどんがおいしすぎる。●パン屋のおじさんは今日もお店の奥の方でパンを作っている。白いよれよれのTシャツで黙々と。のばした生地を切るのに、針金ハンガーを使っていた。●シベリア鉄道であんなに弾きたかったピアノ、指がうまく動かない。
1008-イタリア
Roma, Dubai, Tokyo
2010.09.05 Sunday - comments(0)
9/3(金) 東京に沈む

隣りに座ったチェコ出身の2人は、東京の他に、大阪、奈良、京都、九州、仙台にも行くといって見るからにはしゃいでいた。ひらがな、カタカナ、漢字も少し読めるようだ。私の旅の行程を話したら「電車で?本当に?どれくらいかかった?7日も乗ってたの!?すごく退屈だったでしょ?ロシアの電車はスピードがすごく遅いでしょ?それに乗ったって?本当なの!?」と、思いがけないリアクションだった。成田から宿泊場所への電車の乗り換えがさっぱりわからないということで、空港に到着してすぐPocketWifiでiPhoneをつないで検索し、それをメモしてあげたら「コノゴオンハ、ケッシテワスレマセン」だって。とても上手な日本語だった。赤いトランクはちゃんとターンテーブルを回ってきた。ロストバゲージもなく、鍵をこじ開けられることもなく、5つの空港をちゃんとついてきてくれた。キミもよくがんばりました。

自宅に着いたら、信じがたいことに玄関の鍵が2つとも開いていた。私の留守中にちびがここで暮らしていたことは、明らかだった。これからちびが福島に戻るまでの2週間ほど、一緒に暮らすのだろうと覚悟して帰国したのだが、ちびは家にいなかった。深夜になっても帰ってこなかった。


3月に黙って会社を辞めていたちびは、ハローワークにも行かずに4ヶ月間ゲーセン通いをしていた。その間、不動産屋から私のところに連絡があって、その都度滞納分を貸していたが、そのお金も家賃ではなく生活費とかゲーセンに充てていたということを7月下旬に知った。そんなこととは知らず、たまにちびと会っては食事をして、社会人なら革靴の一つでも持っていた方がいいだろうと、ちょっといい靴を買ってあげたりした。ニートでゲーセン通いをする弟に、私は革靴など買ってあげたのか思っただけで、バカにされているようで、怒りと悲しみでいっぱいになった。ちびはあのとき「ありがとうございます、これを履いて、がんばって働きます」と言ったではないか。あれはウソだったのだ。そのピカピカの靴を履いて、ゲーセンに入り浸っていたのだ。

私にとってつなぎ止められる家族はもう兄と弟しかいない。その関係は大事にしたいと思っているし、家族の思い出といえば悲しいことばかりだったから、せめて笑い合った記憶を残そうと2人を連れてソウルや北京へも行った。けれど、もうそれも無理なのかもしれない。

8/25でアパートを解約したちびは居場所を失い、荷物をすべて福島の友人宅に移すことにした。東京は誘惑が多いとか、姉に頼ってしまうからという理由で、しばらくは福島で働くのだという。そして、1年か2年経って、お金を貯めて、また東京で暮らしたいと言うけれど、働くどころか生きる気力のないちびがまた上京するとは思えないし、大人になったちびをもう手助けするつもりもない。あのときちびは、16歳だった。虐待を受けて育ったちびを助けられるのは私しかいなかった。私はちびが上京して高校に通った4年間で、できる限りのこと(もしくはそれ以上のこと)をしてきたと思っている。せっかく連れ出したあの場所に戻ることが私には理解できない。

深夜1:30、兄から電話があった。ちびの行方を知っているのかと思ったら、深刻なのは兄自身だった。兄もまた7月で仕事を辞め、まだ職が見つからずにいる。貯金も尽きて、今月で家も出なくてはならないといって、電話口で無言になってしまった。「その時はその時だ」と言って切られてしまった電話は、なんだか自殺予告みたいで涙が出た。

いつも家族が健康で楽しく暮らせるように、私にできることはできる限りやりたいと思っている。同じ思いをしてきた兄弟を大事にしたいという気持ちは変わらないけれど、この煩わしい現実から目を背けたくなる。東京に帰ってきて、一気にシベリア鉄道もローマも消えた。私が旅したお金を兄弟に分け与えれていれば、それでうまくいくとでも言うのか。

ちびは時計の修理という仕事が気に入っていて、「時間が過ぎるのがあっという間で楽しい」と言っていたのに、先輩や上司に「オマエは邪魔だ」「辞めろ」、トイレに行けば「歩いてないで走れ!」と、毎日散々言われ続けたのだという。そういうことも、辞める前に私に言って欲しかった。そして、もう一度同じ仕事を見つけて欲しかった。出発前にあんなに説得したのに、ちびはすべてを諦めてしまった。家に残されていたものはハブラシとひげ剃りだけだった。ソファのカバーが裏返しになっていて、冷蔵庫のものが少し減っていた。
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Roma, Dubai, Tokyo
2010.09.05 Sunday - comments(2)
9/2(木) 帰る場所はまだ見つからない

ローマ滞在中にクライアントの娘さんが肝臓移植手術を受けるという知らせを受けた。小さい頃、よく高い高いをした元気なあの子のことを思う。ドナーが見つかり臓器提供を受けたというニュースは、各メディアでも報道されているようだった。ローマ滞在は残すところ1時間半、パッキングも済んだところで駅から40番のバスに乗ってバチカンへ向かった。サン・ピエトロ寺院の行列をくぐって広場の中央でひたすら祈る。

B&Bに戻り、借りていた携帯電話や鍵を置いて部屋を出た。10日間のイタリア滞在のうち、8泊をここで過ごした。結局、マテーラ、アルベロベッロから戻ってからも、同じ部屋に宿泊した。オーナーさんが、私の希望を聞き入れてくれてキープしてくださったのだ。大きな机があり、風がよく通る過ごしやすい部屋だった。ローマで一番多くの時間を過ごしたDiocleziano 3号室、ありがとう。

空港内の郵便局は噂通りの行列で、とにかく進みが遅い。20分ほど待ってようやく私の番がまわってきて、ポストカード1枚を日本宛に送りたいと伝えると、係りの人がキーボードを叩き始めた。何を調べているのかわからないけど、ずっとカタカタやっている。それからファイルを取りだして、海外への郵便料金表をチェックして切手を取り出す。切手を1枚取り出すのに、なぜそんなに時間がかかる!?というくらい手際が悪い。申し訳ないけどスローモーションにさえ見える。それからのりを取り出して、切手の裏にのり付けして貼ってくれた。切手代を払って、おつりを受け取るまでに5分以上はかかっている。さて、ちゃんと届くかどうか。

近くの搭乗口に日本人が多いと思ったら、アリタリア航空の成田行き直行便が出発するところだった。私もその飛行機に乗りたかったけれど、片道切符の最安値が23万円だったので、エミレーツ航空でドバイを経由して帰国する。これなら約5万円。約6時間ほどしてドバイに到着すると、空港内のなんでもない時計が全部ロレックスだった。次の出発までの4時間は、無料で使えるレストランで過ごそうと思っていた。トランジットに4時間以上かかるエミレーツの乗客は飲み食い無料という大盤振る舞いのレストランがあるのだ。ところが、あてにしていたこのレストランがクローズしていて、仕方がないのでマクドナルドに入った。ドバイでマクドナルドというのは、なんだかすごく残念だ。後ろのソファに座った日本人カップルがずっとイチャイチャしてる。「なんで怒ってんの?」「いや」「あいしてる」「いやーん」「みちこー」「なあにー」ってずーっとやってる。楽しそうだから私も混ぜてもらいたい。何も買うつもりはないが、金の延べ棒が並ぶショウケースを眺めたりする。

ドバイに着いて、時計の針を2時間進めた。つまり今日は1日22時間だった。深夜3:15発、フライトは約10時間。シベリア鉄道に比べればあっという間だ。東京へ帰る理由を考える。私が帰る場所は本当にそこなのかと思う。


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Roma
2010.09.05 Sunday - comments(0)
9/1(水) 最後の晩餐

ローマ最後の日。昨日のリストランテで食べきれずに丸々残ってしまったピザがキッチンにそのままになっていた。お隣の彼女は早起きしてポンペイへ向かい、父子もまたピザには手をつけずに出かけたようだ。誰もいないB&Bは静かだった。朝はFICHI(フィーキ)というイチジクの小さい版みたいな果物と桃で済ませ、お昼にピザを温めて食べた。

今日までひとしきり町を歩いたので、B&Bから出ずにゆっくりと過ごしたいと思っていたけれど、やはりこの太陽の下を歩かないなんてもったいない。まだ見ぬローマがあるかもしれない。14:00過ぎにコロッセオ、チルコ・マッシモ、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会にある真実の口、トラステヴェレ、ナボナ広場、そしてまたコロッセオ──メトロやバスに乗ることなく、今日もよく歩いた。

途中、革カバンの専門店を見つけて、シンプルで軽くてちょっとかわいげのあるバッグを買った。日本で買うよりもずっと安い値段で、17インチのMacBook Proが入る革カバンをようやく見つけた。それから赤くて小さいバッグも。しかも、安いバッグを15ユーロも値切った!言葉もろくにできないのに、我ながらたくましくなったなあと思う。

カバンを買ったからにはモノを減らさなくてはいけない。何度も愛読した宮脇俊三さんの著書「シベリア鉄道9400km」は、もう読む本がないと言っていたお隣の女子にあげた。旅の間使っていた洗濯板とか洗濯ばさみがたくさんぶら下がった洗濯物干しとか、一度も使わなかった計算機はここに置いて行く(全部100円ショップのもの)。洗濯洗剤、シャンプーもどなたか使って下さい。出発前は慌ただしいだろうから、宿帳に感謝の言葉を綴る。

昨日、一緒にリストランテへ行った関西大学の学生さんに「お誕生日おめでとう」のメールをする。「こないだ成人式でした」という若者が自分で計画を立てて、お金を貯めて、チケットを買って、外国の町を見て歩く。ちびと比べてはいけないのだけど、心から感心する。

20:30、パンテオンでローマ在住の方と待ち合わせて最後の晩餐。「シベリア鉄道でローマに来た人は初めて」とのこと。私はすごく電車が好きってわけではないけれど、ミラノからジェノヴァ、マルセイユ、バルセロナまで海沿いを走る電車があると聞いてまたときめいてしまった。シベリア鉄道というずっと乗りたかった電車に乗ってしまって、次はなにをしようとか、どこに行こうとか、既にいろんなことが頭を駆け巡っている。先日まで1週間ほどクロアチアに滞在していた彼から、クロアチア情報をあれこれ聞かせてもらったら、次はクロアチアだ!と思うし、アフリカ大陸上陸とか、アメリカ横断(車で)とか、今はまだ考えたくないとも思うし、考えを抑制することなんてできないという思いもあったりする。そういえば、初めての四国上陸も尾道から自転車だった。アフリカについてまた調べようと思う。シチリアで食べるピスタチオのジェラートが絶品だと聞いて、シチリアへの思いも強くなった。

よく食べ、よく話した夜だった。そして猫の吹きだまりに立ち寄って夜更かしの猫たちにさよなら。

明日の午後、ドバイへ。成田に着くのは3日の夕方。シベリアからローマ、うれしいこといっぱい、楽しいこといっぱい、悲しいこと少し。旅する間、2回泣いた。ノヴォシビスルク駅でさよならするとき、B&Bでさよならするとき。一人はすごく怖かった。最後の夜、なんだか胸がいっぱいだ。


1008-イタリア
Roma
2010.09.05 Sunday - comments(0)
8/31(火) 憧れの第二の皿

朝からひたすら部屋にこもって仕事をした。多分、これが観光だけの旅だったら退屈だったと思うし、「仕事をせずに観光している」と考えただけで、罪悪感でまったく楽しめないと思う。ローマでもこうして仕事をさせていただけるのは本当にありがたい。長いお付き合いのクライアントさんは、シベリア鉄道で1週間音信不通になるというのに「やると思ってました」「いってらっしゃい!」と言ってくださった。日本の会社だったら「勘弁してくださいよ!」とか「じゃあもう、他の方に頼みますから結構です」とか、そういう事態になってもおかしくはないと思う。

この身勝手な旅は、クライアントさんの理解がまず第一だった。正直、仕事をしたくないくらい素晴らしすぎる天気のときもあるけれど、基本的に私はこの仕事が好きだし、続けたいと思っている。日本にとどまることなく、どこででも働けることに感謝している。2003年の冬、ネットがつながっていれば世界中どこででも仕事ができるかもしれないとアムステルダムで初めてそれを試してから7年近くが経った。私は仕事を理由にして、やりたいことをやらずに終える人生は送りたくない。仕事も旅も一生懸命でいられて煩わしいことを考えなくても済むローマでの生活は、とても充実している。

夜ごはんはスーパーの食材で適当に済ませようと思っていたら、同じB&Bに宿泊する女性が「ご迷惑でなければ一緒にごはん、いかがですか?」と声をかけてくださった。そして、同じタイミングで食事に出かけようとしていた父子と、先日まで宿泊していた大学生、合わせて5人で出かけることになった。眼鏡にバカリズムTシャツというしょうもない格好をしていたので、慌ててコンタクトをしてシャツに着替えた。

せっかくなので、先日私が一人だからと諦めたトラステヴェレのリストランテへ行くことになり、みんなでバスに乗った。日本語が弾む。前菜、パスタ、ピザ、ずっと食べたかったミラノ風カツレツ、ドルチェ、ワイン、しっぽの大きい猫がのっしのっしとテーブルの隙間をぬって歩く。川の向こう側は驚くほど安くて、5人で1万円くらい。一人で食べるより100倍楽しく、おいしい時間だった。ローマに来たそれぞれの理由は、とても興味深かった。私の物語、みんなの物語、すべてが思い出になる。

店頭には博物館にでも飾ってありそうな古いフィアットが止まっている。それで気になっていたお店。「CALRO MENTA」、次に訪れた時もまた行きたい。


1008-イタリア
Matera, Bari, Alberobello, Bari, Roma -3
2010.09.04 Saturday - comments(0)
08/30(月) 白く憂鬱なアルベロベッロ、その3

お昼に立ち寄ったカフェで、ウエイターのアレッサンドロが私のテーブルに置いてある日本語とイタリア語の会話本を見せて欲しいと言う。仕事中だというのに、椅子に腰掛けてページをめくる。裏表紙に書かれた五十音の表を興味深げに見て「日本語は難しい?」「アレッサンドロって日本語でどう書くの?」とか、いろいろ知りたい様子だ。「アルファベットは21だけど、日本語はもっとあるの?」という驚きが新鮮だった。店内からは「アレッサンドロー!(料理を持ってってー!)」の大声が幾度となく聞こえる。「オイ!」とアレッサンドロは返事だけはいい。その五十音の裏表紙は彼にあげた。帰りにまたお店の前を通りがかると、観光客もいなくなり、人気のない外のテーブルで彼はイヤホンをして音楽を聴いていた。笑顔で手を振ってさようならをした。ちなみに、このカフェのトイレは、便座と鍵がなくてかなり困惑した。

アルベロベッロ駅の職員は、窓口の向こうでPSPに夢中だった。バーリに戻って、駅構内の売店でまたトーストを注文する。この売店を使うのはこれで三度目だ。ローマ行きのユーロスターは4番線。ところが4番線には、小さくて薄汚れた電車が止まっていて発車する気配がない。これは明らかにユーロスターじゃないし、発車後にユーロスターが入ってくるとも思えない。しばらくすると1番線にユーロスターがやってきたので、ホームが変わったのだと勝手に解釈して乗ろうとしたら、それはローマ行きではなく、逆方向のリッチェ行きだった。危うく逆に向かうところだった。

発車時刻3分前になっても、4番線にはあの小さな電車が止まっている。何かがおかしい。そこへ、停車中の電車の向こう側に赤い電車が入ってきたのがチラッと見えた。4番線は向こう側にもあったのだ。地下への階段を下り、プラットホームへダッシュで駆け上がる。車掌さんに確認すると「5号車はもっと向こうだよ」と促されてまた走る。乗りこんだ瞬間、ドアが閉まった。ギリギリセーフ!バーリで野宿、危機一髪!

私の隣にはなかなかふくよかな女性が座っている。黒いブラジャーの線に背中の肉が覆い被さっていてひどく汗をかいている。鼻をふがふがさせ、よく咳込む。1.5リットルのミネラルウォーターをラッパ飲みして、一気に半分が減った。声をあげて大きなあくびをしては、立ち上がって通路へ出たり戻ったりせわしない。行きは程良く冷房が効いていたのに、帰りはムンムンしている。

一人になりたいと思った。本当のところ一人は懲り懲りなのだが、心が疲れてしまった。イヤホンで耳をふさぐ。







1008-イタリア
Matera, Bari, Alberobello, Bari, Roma -2
2010.09.04 Saturday - comments(0)
08/30(月) 白く憂鬱なアルベロベッロ、その2

アルベロベッロの駅にはロッカーがなかった。それで、ツーリストインフォメーションを探して町を1時間以上歩いて、それでも見つからなくて、レンタサイクルをやっている旅行代理店のような会社を訪ねたら、思いがけず奥から日本人スタッフが出てきた。そして、インフォメーションの場所が新しくなって、私の情報は古いことを教えてくれた。やっぱり、と思った。私が持っていたのは、2003年のガイドブックなので、こんなこともあろうかとは覚悟していたのだ。町の地図もくれた。おばちゃんたちの「帰られますう」の後だったので、親切にしてもらえて本当にうれしかった。

ようやく見つけたインフォメーションで、荷物を一つ預かってもらえないか、どこかにロッカーはないかと尋ねると、これっぽっちも英語が通じず、結局「警察に行け!」と地図に警察署の場所を2カ所丸をしてくれた。そうじゃないのに!荷物を盗まれたんじゃなくて、預けたいんだってば!次々訪れるツーリストの対応に追われて、私はもう相手にしてくれない。警察が荷物を預かってくれるわけもないので、重たいリュックを背負ったまま観光する意志を固めて、捨てられるものを選りすぐった。とりあえず、古いガイドブックは真っ先に捨てた。

それでも大きなリュックを持ち歩いているようなツーリストなどこの町にはいない。大体みんな、車とか観光バスでやってきて1〜2時間ほど見て、写真を撮って、お土産買って帰るという感じだ。電車でやってくる人は極めて少ないように見えた。それにしても、ロッカーがないのは本当に辛かった。世界遺産の町なのに。なにか苦行のようだった。

アルベロベッロは、白いトンガリ屋根のトゥルッリと呼ばれる建物が建ち並ぶかわいらしい町だ。とても楽しみにしていたけれど、実際のところ残念な感じだった。観光地だから観光客が大量に押し寄せては写真を撮りまくって帰るというのはありがちと言えなくもない。ただ、場所によってはカメラを持った観光客が通りを埋め尽くすといった感じだったし、お土産屋さんだらけだし、なんだか情緒というものが完全に失われていた。観光客で埋め尽くされて、うんざりしている住民の方も多いのではないかと思う。

一度、兄のお土産にと思って広げたTシャツが大きすぎたので棚に戻したら、おじさんの態度が一変したことがあった。4ユーロの小さな買い物をしたおつりをテーブルに投げて渡された時は、文句の一つも言ってやりたかった。言葉の通じない日本人にはあからさまな態度をとっても、何も伝わらないとでも思っているのだろうか。おじさんは、私が「グラッツィエ」とか「チャオ」とか言っても、おつりを投げてそっぽを向いたまま何も反応しなかった。

この町では、思いの外時間を持て余してしまった。帰宅後に、イタリア在住の方が「あそこはイタリア三大ガッカリみたいなところだからね」と言っていて、すごく納得した。

(つづく)
















1008-イタリア
Matera, Bari, Alberobello, Bari, Roma -1
2010.09.04 Saturday - comments(0)
08/30(月) 白く憂鬱なアルベロベッロ、その1

マテーラの朝。洞窟ホテルは部屋に入った時からエアコンがついていて、一晩中寒かった。そして、窓を開けたらエアコンよりも寒かった。昨晩も思ったが、この町は日が沈んだ瞬間から長袖が必要だ。

今日はマテーラからいったんバーリに戻り、そこからまた別の私鉄に乗ってアルベロベッロへ向かう。マテーラからアルベロベッロを直線で移動できたら1時間くらいで到着する距離なのに、電車だと4時間ほどかかってしまう。夜にはローマに戻るので、朝7:00にチェックアウトした。朝食は8:00からなので、素泊まりということになってしまった。それで102ユーロはなかなかのお値段だ。せっかくだから洞窟ホテルに泊まりたいと思っていたのだが、私のような1日中町を歩いているような人には安いB&Bが向いてる。この町には安くていいB&B(しかも洞窟)がけっこうあるようだった。

月曜日ということで昨日完全に閉まっていた駅のシャッターが開いていた。マテーラ駅は、とても小さな駅だった。階段を下りると地下はプラットホームになっていて、逆方向へ向かうたった一両の電車が入ってきた。車体は隙間なく落書きされていて、見るも無惨な様相だった。こういうのに乗るのかと不安に思っていると、3両編成の電車が入ってきた。落書き車両の後ろに、原型をとどめた車両が2つ付いている。7:54、5分遅れで出発。一つ向こう側の座席に座った顔の大きな男が、しきりに足でリズムを取っている。振動が床を伝わってきて意識が乱れる。そのうちデジカメを取り出して、ニヤニヤしながら私を隠し撮りし始めた。すごく気持ちが悪い。

より大きな地図で シベリア鉄道全線走破 を表示

1時間半ほどでバーリに到着し、駅の売店でパニーニを焼いてもらう。昨日のお昼にサンドイッチを買ったのもこのお店だった。駅の地下道をくぐって奥のホームに着くと、既にアルベロベッロ方面行きの電車が到着していた。本数が少ないので慌ててチケットを買って飛び乗った。車窓からはオリーブ畑やぶどう畑が続く。

アルベロベッロ駅に到着してすぐ、掲示板に張られた時刻表で帰りの時間を確認する。それがどうもわかりにくい時刻表だったのでしばらく眺めていると、隣ににやってきた二人組のおばちゃん(この際おばちゃんでよし)が「帰りはやっぱりこの4時じゃないと間に合わないわね」と話している。日本語だったし、どうやら同じ電車でやってきて、同じ電車で帰るようなので「バーリに帰られるんですか?」と声をかけた。そのときのおばちゃんの返答はこれだ。

「バーリに帰られますう」

言い終わるのと同時にきびすを返すようにアルベロベッロの中心地へと向かってしまった。悲しいというより、もはや腹が立つ。チラッと見ただけで、さっと目を逸らすその理由が知りたい。このおばちゃんたちとは、その後アルベロベッロの小さな町中でも、帰りの駅の待合室でも一緒になったのだが、ちょっと声をかけようとすると会話を中断してさっとあっちの方を見るのだ。なんなのだ、一体。両手にいっぱいお土産抱えてさ!本当に今日はこのおばちゃんの言動に、心が何度もしくしくした。いわゆる日本人観光客の典型にも見えたけれど、この人たちが「日本人」だなんて思われていたら私は心底残念だ。

どうしてこう海外で出会う日本人はことごとく会話を拒み、目を逸らし、避けるのだろう。つくづく嫌になる。昨日のマテーラでも同じようなことがあったし、シベリア鉄道に乗っていた大学生の男の子たちも、何度すれ違っても目を逸らし続けるのでその度に心が痛かった。

(つづく)




1008-イタリア
Roma, Bari, Matera -4
2010.09.04 Saturday - comments(0)
8/29(日)迷宮入りと4人のアントニオ、その4

ジェラート屋さんでグラニータというシャリシャリしたかき氷のような飲料のようなものを買う。レモン味のグラニータ、これがとてもおいしかった。あまりの暑さにすぐ溶けてしまうので、一心不乱にスプーンですくう。頭がキイイイイインとする。イタリアではレモン味のジェラートもよく食べた。日本では滅多に選ぶことのないこのフレーバーが、イタリアの空気にとてもよく馴染んでいて、劇的においしかった。

太陽が沈み、静かに暮れゆく町の様子を見るために町のシンボルになっているドゥオモまで登ると、きちんとした身なりのイタリア人のおじさんがしきりに声をかけてくる。どこから来たの、おー!ジャッポネーゼ!、おいらの車で渓谷の向こう側に一緒に行こう、素晴らしい景色なんだよ!、町を一緒に歩こう、一緒にごはんはどうだい?──頼むから私にゆっくり太陽を見させてください、お願いします。おじさんのメロウな鼻歌などお構いなしに、空のオレンジが消えてゆく。彼の名前はアントニオ。5年くらい前の私であれば、確実に彼について行ったに違いない。私だって学習しているのだ。

階段だらけのマテーラの町を昇ったり降りたり、降りたり昇ったり、実に6時間ほどやっていた。今なら富士山もいける自信があるのに、今年はもう閉山だ。廃墟と化した洞窟の中には無数のハトが住んでいた(そうとは知らずに足を踏み入れて、突然羽ばたくハトに悲鳴をあげたりした)。日が暮れてからは、まるで表情を変えた町を再度見て回った。ゴツゴツとした岩のてっぺんに十字架のある洞窟教会、サンタ・マリア・デ・イドリス教会は、夜になってさらに神秘性を増した。そのふもとにあるお土産屋さんでポストカードを3枚買うと、お店のご主人がそれを丁寧に袋に入れてくれた。その袋にはさらりとサインがしてあった。「私の名前はアントニオだよ、サインしておいたよ」

1日に4人のアントニオと出会うことなどこの先もうないんじゃないかと思う。あとになってわかったことだが、その地方の聖人に由来した名前が多いのだとか。イタリアの南の方では「アントニオ」、ローマ周辺であれば「パウロ」というように。だから、名前で出身地がわかったりすると聞いた。ということは、私の大好きな下高井戸のイタリアン料理店「トニーノ」のご主人はアントニオという名前で、南部の出身ってことなのかもしれない。(正解!彼は南の出身だった)

サッシを抜けて町の高台にある大通りへ出ると、人が埋め尽くしていた。閑散としたサッシとは対照的で、マテーラのもう一つの顔を見た気がした。その多くがご老人で、通りのベンチや木の植え込み、座れそうなところはすべておじいちゃん、おばあちゃんが肩を寄せ合って座っている。多くの人がよそ行きの洋服を着ているので、なにかコンサートとかお芝居などを観た後なのかと思いきやそうではないらしい。彼らは日常的に、この町の広場に夜な夜なおめかしして繰り出しているという風だった。

せっかくだからおいしいものを食べたいと入ったお店は、偶然にもマテーラで一番おいしいと評判のお店だったとこれも後から知った。「Ristorante Le Botteghe」で、イタリアに来て最もおいしいと思える大満足な食事をした。ワインを飲んでぐらぐらに酔ってしまったが、一人旅では誰も介抱などしてくれない。理性を保っていたつもりが、既に見る物が3つくらいに重なって見えている。このままではホテルに帰れなくなってしまう!と危機感が募ったので、飲みきるのをやめにした。猫がニャーニャー鳴きながら各テーブルをまわっている中、ふわふわとした足取りでホテルに戻った。

このマテーラで過ごした短い時間の中で、何人もの人と挨拶を交わした。握手をしてさよならすることもあった。特におじいちゃんたちは、うれしそうにいつまでもイタリア語で声をかけてくれた。10人よりもっとたくさん、30人かそれ以上の人たちとそんなふうにして出会って別れた。まだまだ東洋人は珍しいのかもしれない。

明日は、今日運休していた電車に乗る。「駅の場所はここから10分くらいよ」とホテルのフロントで聞いていたのだが、予習を兼ねて歩いてみたところ、1時間もかかってしまった。方角がわからないのと、駅があまりにも質素で小さすぎたのだ。これで早朝から道に迷うことはない。







1008-イタリア
Roma, Bari, Matera -3
2010.09.01 Wednesday - comments(0)
8/29(日)迷宮入りと4人のアントニオ、その3

マテーラの町は、意外と近代的建築が目立った。もっと洞窟だらけの古くさくてじめっとした──脆い廃墟のような連続した住居群を想像していた。ホテルが見つからず、白い石畳をフィアットを避けながら走る。Informationでホテルの場所を聞こうと、後部座席のワイフがホテルの地図を差し出した。やってきたのはおばあちゃんはなかなかユニークなキャラで、ジブリ映画に出てきそうな人物だった。「この先は道が狭いから、あとは歩いて行ってね」と、夫婦は帰っていた。あの犬を殺ったプジョーで。

さてこのおばあちゃん、イタリア語しか話せない。まったくもって通じないのに、言っていることがなんとなくわかるから不思議だ。「一人できたの?」「独身なの?」「でも、指輪してるじゃない」「地図をあげるわね」そう、それ。私が欲しいのはマテーラの地図なのです、おばあちゃん。そこまで20分くらいかかった。しかし、この地図があってないようなもので、さっぱりわからない。そもそもマテーラは立体的に階段が入り組んでいて、何通りかなんて歩いているともうどうでもよくなってしまう。基本的に、ドゥオモと太陽の位置で判断するしかない。それがわかったのは、もうマテーラを後にする頃だった。

おばあちゃんのいたInformationからホテルまではちゃんと車道が通っていたし、結構な距離だったので、タクシーがあの場所で帰ってしまったのをちょっと残念に思った。ホテルは、サッシと呼ばれる洞窟住居群の中にあり、ちいさな看板が一つ出ているだけでとてもわかりにくかった。フロントで「27」の鍵を手渡される。私の好きな数字、27。ようやく部屋に着いて荷物を下ろし、窓を解放する。洞窟ホテルというにはキレイ過ぎるくらいにピカピカで、天井も程良く高くエアコンも効いている。この町の滞在時間は限られているし、もしかしたらもうここを訪れることはないかもしれない。疲れを癒す間もなく町へ出た。

(つづく)


近代的建築を抜けたところに洞窟住居群が広がっていた。私が見たかったマテーラの町。


誰かに似ていると思ったら、「天空の城ラピュタ」に出てくる海賊船のドーラ船長だ!ちなみに、この毛むくじゃらの腕の主は、あのタクシードライバー、アントニオ。


洞窟住居群を渓谷が隔てていた。飲み込まれそうなほどのスケール感。


この中のどれかがホテルで、どれかがリストランテだったりする。


奥の方に小さな看板が見えた。これがホテルの入り口だなんて。

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